「ぼろ」とは悪いことだろうか?
「ぼろ」とは簡単に作りあげられるものではない。お金がなくとも節約して自分で直しつづけることで、あるいは放ったらかしにしつづけることで、何年もかけて醸成されるのだ。
「ぼろい」店を訪れることで、お金をかけて見た目を取りつくろうことなんかよりも大切なことがわかる。「ぼろ」の中には輝くものが見える。
だからこそ、私は「ぼろ」を追いかける。
「ぼろ」は、ロマンなのだ。

珍スポトラベラー。このたび30歳を迎え、無職に。これから車で生活しながら全国を旅して行く予定。走れ、女30歳、無職、珍スポトラベラー!
ぼろい店はハズレない。日本一傾いている中華そば屋「まる豊」へ
「お腹、空いたなあ」
この日、和歌山駅で降り、レンタサイクルを借りて街中をフラフラとうろついていた。
とはいっても、あまりめぼしい店がない。たまに見かける店はどれもチェーン店だ。
もちろん、腹を満たすだけならチェーン店でも良い。良いのだけど、せっかく旅に来たのなら、その土地にしかないお店へ行きたいという欲が出てしまい、結局、朝から何も食べていなかった。
「どれも同じような店ばっかり。もっと個性的な、出来れば……ぼろい店に行きたい!」
私が「ぼろい店」を目指すのには理由がある。
まず、ぼろい店というのは、存在するだけで貴重である。というのも、「ぼろさ」が出てくるためには長い長い時間が必要なのだ。
そして、その「ぼろさ」のまま長く続けることができた背景には「美味い」「安い」「人柄が良い」……など、諸々の条件が揃っているのである。
断言する。「ぼろい店」には、ハズレが少ない。
そうして辿りついたのが、中華そば屋「まる豊」だった。
「これは……この店は!」
突如現れた、ほったて小屋のような見た目。トタンが良い味を出している。
そして、入り口をよく見ると、そこには言葉を失うような光景が広がっていた。
「この店……!! 目の錯覚?? いやいや、この店……」
めっちゃ傾いてるッ!!!!!!!!!!
え~~~~~~!めっちゃ傾いてる~~~~ッッ!!!!!!!!
今日の旅ごはんは、ここに決定だ。
店内は登り坂。引き戸も重力で勝手に閉まる傾斜度
「こんにちは~、やってますか?」
「はい、やってますよ、いらっしゃい」
「うわっと!」
店の中に入って一歩、バランスを大きく崩した。明らかに右側が高く、左側が低く、坂のようになっている。外からの見た目もすごかったけど、その傾斜のすごさをさらに体感する。
ガラガラガラ……ピシャン!
はっと振りかえると、引き戸が閉まった。どうやら、傾斜の重力で勝手に閉まる自動ドアになっているようだ。
「気をつけてな。いきなり転んでしまう人もおるから」

▲大将の豊田二郎さん。御年、77歳
「こ、これは本当にすごい傾きですね……トリックアートの家みたいです」
「まあ、『日本一傾いている店』やからな! ワッハッハ~!」
「すごい。傾いていることを誇っている……!」

▲写真奥に向かって登り坂が。足を踏んばりながら撮影している
傾いた店内で、奇妙な台がふと目に留まった。
「そういえば、この台って何……?」
「特製の“敷きテーブル”や。そのままの状態やったらこぼれてしまうし、皿がズルズル滑ってしまうやろ。はい、お冷」
カポッ。
敷きテーブルは、店の傾きを水平にすべく、左側が高くなるように作られていた。右上には穴があけられ、お冷をはめ込むと、その径はピッタリだった。
三半規管も揺さぶられる絶品・和歌山ラーメン
「とりあえず、中華そばください」
「あいよ」

▲私の写真が傾いているのではない。メニューが傾いているのだ
三半規管がやられたのだろうか。座っているだけだというのに、揺らされているような、浮いているような気分になってきていた。
そうこうしているうちに、中華そばが運ばれてくる。

傾いた床と椅子と、傾きを補うように作られた敷きテーブルと、傾いたテーブルと、傾きを補うように作られた調味料台と、傾いたカウンターと……
傾いているものと傾きを補われているものとを交互に見ていると、自分の中で当たり前だった「水平」とは一体なんなのか、もう分からなくなってくる。自分がどこにいるかも、分からなくなりそうだ。
でも、一つだけ分かるのは、
目の前のラーメンからとてもいい香りがするということ。
「……いただきます!」
中華そばは美味しかった。和歌山ラーメンの特徴である、豚骨しょうゆ味のスープ。昔ながらの中華そばの中麺。チャーシューは大きくて、豚肉の味がしっかり残っている。
ずるずる、ふうふう、と汗を出しながら食べる。
ドン、とテーブルにドンブリを置いた。しかし、そこは敷きテーブルではなかったので、ずるずるっとお皿が滑っていった。
そうだ。美味しさで忘れていたが、この店は傾いている。

▲敷テーブルを使わないと皿が勢いよく滑っていく
香港のギャング映画の舞台にも。海外から観光客も訪れるスポットに
「大将、中華そば、美味しかったです」
「そやろ? ただの傾いてる店やと思ったら大間違いやで!」
大将は笑いながらそう言った。
店内には、著名人たちのサインもたくさん飾られている。
「島田紳助さんとかも来てんやで。あんたら夫婦二人がやってたら、ここは絶対すごい店になるよって言われてな。その通りになったかな」
「外国のテレビもたくさん来たんやで。韓国も中国も、台湾も来た。香港から来たのは、映画の撮影やった。ギャング映画や」
「え、この店、ギャング映画に出たんですか!」
「そや。大阪で抗争があって、そのギャングが和歌山まで逃げて来てっていう設定でな。店でカーッとラーメンかきこむってシーンやわ。一万円をバンと置いて、 “釣りはいらねぇ” みたいな感じで去るんやけど、撮影終わったらちゃんとお釣り取りに来たから笑ったわ」
「あはは、そこシッカリしてるんですね」
「でも、その映画があってから、外国人観光客がさらに増えたわ~」
「すごい店になりましたね。海外にまで『まる豊』が知られているなんて……」
土地がみるみるうちに地盤沈下するも「絶対このまま直すもんか」
「大将、この店っていつからあるんですか?」
「この店始めたんは脱サラしてから、やから33年前くらいかな?」
「脱サラなんてすごいですね。なんでまた、始めようと思ったんですか?」
「なんでもええから、なんか自分の店持ちたかったんや。で、もともとあったほったて小屋を譲ってもらったんやけどな。でもしばらく経ったら、みるみるうちに傾いていってな! この辺の土地は地盤沈下しやすかったみたいなんやけど、そんなん知らんかったしなあ。どうしようかと思ったで」
「今はこんな風にやらせてもらってるけどな、昔は地元の人とかにも散々悪口言われてん。格好悪いとか、あそこはもうアカンとか。もう、建てかえようと思ったこともあった。でも、常連の客が、変えたらあかん言うんや。『この傾いてるのがええんや』『直したらもう来てやらんぞ』なんて言う滅茶苦茶な奴もおったわ。
そんな声を聞いてたら、ワシも意地になってな。絶対このまま直すもんかと思った。ワシら、このまま絶対続けようって、どんな苦労にも負けずにここでやったろうって、二人で約束したんや。なあ!」
そう言って、大将は奥さんを見た。奥さんは「そうやったねぇ」と、ふんわりと優しい笑顔で笑った。
「この敷テーブルにも歴史があるんやで。最初は割りばし使って傾きの調整をしてて、まあその後は専用の棒を作ったりもしたんやけど。最終的にこれ作ってくれたんは、建設業してる常連さんや」
「あ、これって大将が作ったんじゃないんですか?」
「そうや。ありがたいことやで。」
「すごいなぁ。傾いた店を直すんじゃなくて、傾きに人間のほうが合わせていってるんや」
傾いた店の見た目はぼろい。
でも、「ぼろ」と一言では決して形容できない。大きく傾いた「まる豊」は、大将たちの意地と根性と、訪れるお客さんたちの愛で支えられているのだった。
「大将。大将の夢ってなんですか?」
「ん? ず~っとこの店を続けることかな。
この建物自体はワシと同じくらい、実は70年近くここにあるねん。いつ倒れてもおかしくないけど、絶対畳めへんで。店かワシか、どっちかが倒れるまで、絶対続けたる」
やはり、「ぼろ」にはロマンが溢れている
「ごちそうさま!」
「またおいでや!」
ガラガラと扉を開ける。来たときのことを忘れて引き戸を閉めようとしたが、店の傾きのお陰でピシャンと勝手に閉まった。

体勢を整える。店内に長いこと居すぎてしまったからだろうか。
振りかえって「まる豊」を改めて見ると、やっぱり思った以上に傾いている。重力に勝てず同じく傾いた暖簾が、風に身をまかせてふわふわと揺れている。
「店かワシか、どっちかが倒れるまで、絶対続けたる」
なんて格好良いんだろう。
ちょっと想像してしまった。傾いて傾いて傾きつづける「まる豊」が、そのまま傾いて、そうだ、90度くらい傾いてしまう姿を。
それでもきっと、大将は店を畳まずに、壁を地面にしてでも、ここで続けているのだろう。
「ぼろ」にはロマンが溢れている。そう、思いませんか?
お店の情報
「まる豊」
和歌山県和歌山市有本615
073-432-2967
17:00~翌2:00(定休日火・水)